世界には、まだまだ知らないカルト集団が無数に存在します。   世界中で最も恐ろしいものの一つと言われているもの。 それはカルト集団です。   独自の考え方に基づき、タガの外れたアリエナイ行動を平気で行 […]

世界には、まだまだ知らないカルト集団が無数に存在します。

 

世界中で最も恐ろしいものの一つと言われているもの。

それはカルト集団です。

 

独自の考え方に基づき、タガの外れたアリエナイ行動を平気で行う人達…

さて、今回は普通に生活していては決してお目にかかれないヤバイ集団について見ていきましょう。

 

記事は下に続きます。

世界に散らばるカルト集団

世界中に散らばっている恐ろしいカルト集団を、6つご紹介します。

果たして、どのようなカルト集団があるのでしょうか・・・。

 

太陽寺院

太陽寺院の正式名称は、「太陽伝説国際騎士団」と言います。

教祖は、リュック・ジュレという男性。

 

フランスにあった再生テンプル騎士団と呼ばれる神秘主義的な宗教団体から、独立する形で太陽寺院を立ち上げました。

 

太陽寺院の信者は、教養のある富裕層が中心です。

それはなぜか。

 

太陽寺院の教義は、ニューエイジの神秘主義と環境保護を訴えるものだからです。

 

リュック・ジュレは最初にフランスで信者を増やしました。

その後は、カナダのケベック州へ拠点を移します。

 

カナダのケベック州へ拠点を移してからは、大手企業相手に自己哲発セミナーを開いたり、環境保護活動を展開するなど幅広く活動し、信者と資産をたくさん集めました。

 

ですが1990年代に入り、太陽寺院の経済状況は悪化してしまいます。

次第に教団内で、集団自殺をしようかと言う話が出てきました。

 

その話は1994年10月に実行されます。

 

スイス・ジュネーブに住む、太陽寺院の信者である実業家の家で火災が発生し、23人が死亡します。

 

更にその4時間後には、グランジェ・シュール・サルバンという村にあった太陽寺院の拠点が爆発し、教祖であるリュック・ジュレを含む25人が死亡しました。

 

どちらの場合も、信者は頭にビニール袋をかぶせられ、薬物を投与されていました。

また、中には銃で撃たれて死んでいた人もいたのです。

 

教祖であるリュック・ジュレが死んだ後も集団自殺は続きます。

 

ジュネーブと同じ日にカナダでも太陽寺院の拠点が爆発し男女5人が死亡。

なんと生後三カ月の男の子も、心臓に抗を打ち込まれ亡くなっていたのです。

 

そして、この集団自殺が終わった後の1年後にはフランス・ヴェルコールで、3年後にはカナダ・ケベックで太陽寺院の信者が手段自殺を遂げています。

 

結局のところ、太陽寺院の自殺を図った信者は53人にも及ぶのです。

 

さらに、自殺を図る前に信者がビデオを撮って「これから自殺をする」ということを告げていたのですが、その時の信者の顔は、みんな笑顔だったようですよ・・・。

 

自分の命をも、教祖リュック・ジュレに捧げてしまう・・・本当に恐ろしいですよね。

KKK

まずKKKは、クー・クラックス・クランと読みます。

この名前はギリシャ語で「円環・集まり」を意味する「kuklos(ククロス)」という単語と、英語で「一族」を意味する「clan(クラン)」を合わせて作った言葉です。

 

KKKはアメリカ南北戦争後の1865年に、南部連合の奴隷商人であるネイサン・ベットフォート・フォレストが成立したと言われている結社です。

1870年代に一度消滅しているのですが、1915年に復活し第一次世界大戦を機に規模が拡大しました。

 

そして1925年ごろには、構成員が600万人を超えたのです。

後に大統領になるハリー・トルーマンさんはKKKの票を得るために、KKKに加入していたのだとか。

 

KKKに加入したおかげで大統領になれたのかもしれませんね。

 

そんなKKKは、第一のKKKが消滅したことを踏まえ、派手な活動を避けていたのですが1928年には数万人の構成員を連れて大規模なデモ行進を行いました。

 

そのようなことをしたため、第二のKKKの活動が活発になりました。

活発化したことにより、リンチなどが表面化し、リーダーが強姦と殺人で逮捕されます。

 

それをきっかけに活動が途絶えたようなのですが・・・

 

第二次世界大戦後にKKKを名乗る結社が100以上も組織され、小規模なデモ活動を行っています。

KKKを名乗る結社は繋がっていないと言われているのですが、もしかしたら地下では一大組織として繋がっている場合もあるとされています。

 

今後KKKによる大規模なデモ活動が行われる可能性もあるかもしれませんね・・・。

人民寺院

人民寺院は、1955年にアメリカのインディアナ州インディアナポリスで創設されたキリスト教系の新宗教。

人民寺院を創設したのは共産主義者であり、神父でもあったジム・ジョーンズです。

 

ジム・ジョーンズは差別に関して訴え、社会福祉活動にも熱心に取り組んでいました。

そして、差別の対象であった黒人やアジア系の信者を集めます。

 

教団はどんどんと成長していきました。

が、成長していくと共にジム・ジョーンズは狂気へ囚われます。

 

教団が南米にあるガイアナのジョーンズタウン拠点へ移す頃には、教団はジム・ジョーンズの狂気によって性と暴力で支配されてしまうのです。

支配されたのですが、その反面脱退者も出てきました。

 

その脱退者の集まりにより、反人民寺院のキャンペーンが展開されるようになります。

やがて教団の視察に訪れた下院議員一行が信者によって襲撃される事件が起こります。

 

この事件により殺されてしまうと思ったジム・ジョーンズは、ジョーンズタウンに集う信者と毒を飲み集団自殺を図りました。

この集団自殺ではなんと合計918人が亡くなっています。

 

そのうち276人は18歳以下だったのです。

さらに、死亡者の中の300人以上は、自分で毒の飲めない乳幼児や、逃げる背中を撃たれて死亡した遺体だったとも言われています。

 

このジョーンズタウンの集団自殺は、同時多発テロが起こるまでは最大規模の殺人事件でした。

 

918人もの死亡者を出した人民寺院。

今じゃ本当に考えられないですよね。

マンソン・ファミリー

マンソン・ファミリーはチャールズ・ミルズ・マンソンという男性が教祖の団体。

このチャールズ・ミルズ・マンソンは『聖書』を独自に解釈し、女性は罪人であると信じ込んでいた男性だったのです。

 

1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて家出した少女を集め「ファミリー」として集団生活を始めます。

 

チャールズ・ミルズ・マンソンの風貌が当時の流行だったヒッピーと重なったこともあり、少女たちを洗脳することは簡単な事だったようです。

 

そして少女たちを洗脳させた後に、少女たちを使い男性を誘惑させ信者にさせました。

 

それからたくさんの男女の信者を作ったあと、数件の殺人事件を計画し、ファミリーのメンバーに実行を命じました。

 

チャールズ・ミルズ・マンソンの有名な事件として、1969年8月9日、ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害があります。

 

チャールズ・ミルズ・マンソンは、頭が良かったのでしょう。

自ら殺害を実行することはなかったのです。

 

テート・ラ・ビアンカ殺害事件に関しても、実行犯は3人の女性信者。

命令したチャールズ・ミルズ・マンソンは捕まることなく、信者の女性3人全員が終身刑となりました。

 

ヘヴンズ・ゲート

ヘヴンズ・ゲートは、マーシャル・アップルホワイトとボニー・ネトルスによって、1970年代に創立された宗教団体です。

教義は、当時とても流行っていたニューエイジ運動によって生まれた他の宗教団体と同様にヨハネの黙示録やキリスト教の教えに基づく、人間を高次元の存在へ進化させるというものでした。

 

ですが、他の宗教団体とは違いヘヴンズ・ゲートの教義にはオカルト的要素が少し混ざっていたのです。

 

ヘヴンズ・ゲートによると地球は間もなく終わりを迎えヘヴンズ・ゲートの教えを信じるものは、ヘール・ボップという星からUFOが迎えに来て新世界へ旅立つことができると主張していたのです。

 

ヘヴンズ・ゲートは、SF好きの若者を中心に信者を増やしていったのです。

 

信者には、性愛や家族と言った人間的な要素を絶った禁欲的な生活をするように言いました。

そのため、信者は自ら去勢をしたりすべての日用品を共有していたりしたのです。

 

ですがボニー・ネトルスの死後には、教団の教えに疑問を抱くものが増えていったのです。

 

マーシャル・アップルホワイトは、教団が行き詰っていることに気づき焦りを感じていました。

 

そんな中、ヘール・ボップという星が地球に接近してきたのです。

マーシャル・アップルホワイトは、「宇宙人が迎えに来た」と解釈しました。

 

そして、38人の信者と共に集団自殺をするのです。

信者の家族の中には、マーシャル・アップルホワイトが信者を洗脳し、自信の自殺に巻き込んだと証言する人が後を絶たなかったようです。

 

またしても38人もの人の命が奪われた・・・本当に恐ろしいことですよね。

クメール・ルージュ

クメール・ルージュはかつてカンボジアに存在した政治勢力、武士勢力です。

ポル・ポトが始動した勢力でありカンボジアにおけるポル・ポト政権を支え、政権崩壊後もカンボジア王国やカンプチア人民共和国への抵抗を行い始めたのです。

 

クメール・ルージュは別名「ポル・ポトの軍隊」とも呼ばれました。

そして、ポル・ポトの民植民地主義と極端な沢東主義を強く反映した政策を実行し、カンボジアに完全な原始共産主義社会を建設しようとしたのです。

 

当時のカンボジアはなかなか食料が手に入れられずとても困っていました。

 

クメール・ルージュはまずそれを解決しようと、通貨を廃止し、カンボジア国民の私有財産をすべて没収します。

 

更に都市部に住んでいる人間を農村部に強制的に移住させ、少しでも反抗する人間は1人残らず処刑しました。

 

次にクメール・ルージュは知識人の根絶を目指します。

最初に教師や医者、技術者を集め処刑しました。

 

それだけで終わることはなく、次第にエスカレートし始め、本を読める人、眼鏡をかけている人、外国語を話せる人、手が柔らかい人

 

様々な理由で、収容所へ送りすべての人を処刑したのです。

 

クメール・ルージュに処刑された人の数は不明ですが、少なくて100万人と言われています。

そのため、ポル・ポト政権が終わった後のカンボジアの人口の85%が14歳以下だったのです。

 

人工の構造にまで大きな影響を与えたクメール・ルージュ。

今じゃ考えられないことが昔は起きていたということがよくわかりますね。

まとめ

カルト集団が本当に恐ろしい存在だと言うことが分かりました。

今じゃ考えられないほどの死亡者を出していたカルト集団。

 

現在は、そんなカルト集団はいないのかと思いきや、小規模ではありますが今も活動しているカルト集団もいるようです。

 

私たちが知らないだけで、本当は数多くのカルト集団が今現在も活動しているかもしれません。

 

そして、あなたも気づかないうちに信者になってしまうかもしれません。

そうすれば、いずれあなたの命はカルト集団に奪われてしまうかもしれないので、人のことはすぐに信じないようにしましょうね・・・。