四十九日に体験したのは、不思議で、でも心温まる、そんなお話です。   今回のお話、読者の方は、今でも大切な思い出として胸にしまっているとのこと。 あなたの心が、少し暖かくなる、そんな不思議な体験談をご覧ください […]

四十九日に体験したのは、不思議で、でも心温まる、そんなお話です。

 

今回のお話、読者の方は、今でも大切な思い出として胸にしまっているとのこと。

あなたの心が、少し暖かくなる、そんな不思議な体験談をご覧ください。

 

記事は下に続きます。

私とお爺さんの最後の四十九日

私が幼稚園の年長になったころ、大柄で強面ですが人の好いお爺さんが居ました。

 

銭湯を経営していた近所のお爺さんで、子供が大好きな人で、よく自転車に乗りながら挨拶していたのです。

 

私にも優しく挨拶してくれて、お互いに

 

『おうっ』

 

と声を掛け合いながら、自転車に乗るお爺さんとハイタッチをする

ただそれだけの関係でした。

 

ある日、その銭湯が経営難で壊されることになりました。

 

お爺さんは番頭に立つことを楽しみにしていた人で、その時は少し悲しそうな顔をしていました。

 

以降も、ハイタッチをする関係は続いていましたが、恰幅の良かった体型は徐々に痩せ始め、元気も少しずつ無くなっていきました。

 

仕事を辞め、銭湯が潰れてしまったことで、お爺さんは徐々に弱ってしまったのです。

 

そして1年も過ぎたある日、小学校の入学式の翌日から、お爺さんの姿は見えなくなりました。

 

母親に聞いたところ

 

『体の調子が悪くて入院している』

 

とのことでした。

 

わたしは、今までずっとハイタッチをしてきたお爺さんが居ないことに少し寂しさを感じながら、日々を過ごしていました。

 

そして一学期が終わり、夏休み。

 

長期休暇にウキウキしながら、友達の家に遊びに行った帰り道を歩いていると、正面から自転車のベルの音が。

 

見ると、しばらく顔を見せてなかったお爺さんが居るではありませんか。

 

元気だった頃と同じように恰幅が良くなっており、私とハイタッチをしようと手を構えて居ます。

 

『おうっ』

 

と二人で言い合い、パァン!と小気味良くハイタッチを交わしました。

 

それから私とお爺さんは、夏休みの決まった時間になるとハイタッチを行いました。

 

また、以前のように『おうっ』と言い合いながらハイタッチをするだけの関係。

 

そうして月日は流れて、夏休みが終わって少しした時。

 

私は何時ものようにハイタッチをするためにお爺さんを待っていました。

 

すると、正面から自転車のベルの音がしました。

 

これが、夏休みが始まった辺りからの、私達のハイタッチの合図になっています。

 

そしてお爺さんは手を広げ、私はそれを待ち『おうっ』と言い合って、ハイタッチをしました。

 

ですが、その日だけはいつもと違ったのです。

 

『じゃあな』

 

過ぎ去る瞬間に、お爺さんは私に力強い声でそう言ったのです。

 

思わず後ろを振り返った時には、既にお爺さんは居ませんでした。

 

現れないお爺さん

翌日から、幾ら待ってもお爺さんは来ませんでした

また、具合でも悪くなったのでしょうか?

 

1週間ほどしてから、母親に聞いてみることにしました。

 

『銭湯のお爺ちゃん、また入院したの?』

 

幼い私のその問いに、母親は少しばつの悪そうな顔をすると、私にこう答えました。

 

『銭湯のお爺ちゃんね、夏休みが始まった時に、死んじゃったの。

悲しいと思って内緒にしてたんだけど…』

 

そんなはずはありません、ついこの間まで私はお爺さんとハイタッチしていたのです。

 

『折角だし、お線香上げにいこっか…バイバイって』

 

母親に連れられて、銭湯の跡地に立っているお爺さんの自宅へ行くと、そこでお爺さんの奥さんが出迎えてくれました。

 

案内された場所は、大きな仏壇。

 

そこには、あの時にハイタッチしたお爺さんの写真が飾られてたのです。

 

『お父さん、宅の息子さんと手を叩くの毎回楽しみにしてて…無くなる直前も息子さんのことを気にしてたんですよ』

 

と、奥さんは私を見ながら言いました。

 

『先週、四十九日も過ぎて、ようやく落ち着きました』

 

と、聞かされたのを覚えています。

 

亡くなった理由は、ガンだったそうです。

 

見つかった時には手遅れで、最期は眠るように息を引き取ったと、聞かされました。

 

そうして思い出話をした後に、お線香を上げて、その日は帰りました。

 

つい先日までお爺さんに会っていたことは、結局母親には言いませんでした。

 

言ってはいけないような、そんな気がしたのです。

 

それからしばらくして、四十九日の意味を知った数年後の私は、お爺さんの最後の『じゃあな』の意味を知ることになりました。

 

お爺さんがあの言葉を言った日は、丁度亡くなった日から、四十九日が経った時だったのです。

 

四十九日を経て、お爺さんは仏の世界へと往かれたのでしょう。

 

最後の『じゃあな』は、きっと私への別れの言葉だったのです。

 

最後のハイタッチ

…そしてこの話には、もう少しだけ続きがあります。

 

それは、八月中旬の夕方でした。

 

来年から中学生になる私は、ハイタッチをしていた場所の近くをたまたま通ったのです。

 

(そういえば、一年生の頃にここでお爺さんと会ってたなー)

 

としんみりと思い出していると、ふと前方から自転車の鈴の音が響きました。

 

方向を見ると、お爺さんが手を差し出しています。

 

その手の位置は、私が小学生だった頃の、やや低い位置です。

 

全てを察した私は、近付いてくる手に向かい、手を合わせます。

 

『おうっ』

 

もうハイタッチとは言えないハイタッチを交わした後、後ろを見るともうお爺さんの姿はありませんでした。

 

これが、私がお爺さんを見た最後ですお盆って、本当に帰ってくる日なんですね。