初代(ファースト)ガンダムは、打ち切りにあっていたのです。 打ち切り・・・こう聞くと、どうしてもネガティブな印象を持ちますよね。 しかし、ガンダムに限って言えば、そんな事はありません。 いえむ […]
初代(ファースト)ガンダムは、打ち切りにあっていたのです。
打ち切り・・・こう聞くと、どうしてもネガティブな印象を持ちますよね。
しかし、ガンダムに限って言えば、そんな事はありません。
いえむしろ、この打ち切りがあったからこそ、ガンダムは名作になったのかもしれませんね。
Contents
ガンダム打ち切りの理由は低視聴率だった
機動戦士ガンダムの最終回といえば、宿敵シャア・アズナブルとの手に汗握る白兵戦。
そしてア・バオア・クーに取り残され絶望していたセイラや、ホワイトベースで指揮を執っていたブライト、白兵戦で戦っていたカイたちをニュータイプ能力で誘導し、助けたアムロが、今度はカツ、レツ、キッカに誘導されア・バオア・クーから脱出。
ホワイトベースのみんながいるランチに向かうという感動的なものでした。
カツ、レツ、キッカのカウントダウンと共に、沈んでいくア・バオア・クーからアムロの乗ったコア・ファイターが出てきた瞬間、涙を浮かべた人も多いでしょう。
アムロの
「僕にはまだ帰れる場所があるんだ……」
の台詞には今でも胸が熱くなります。
放送された当時もこれまでも、
これ以上の最終回はない!
と思っていました。
けれどどうやら、この最終回は予定されていたものではなかったようなのです・・・
43話は予定されていた最終回ではなかった?
ガンダムが放送されていたのは1979年4月7日から1980年1月26日までの10か月間です。
しかしこの土曜日の夕方の枠は、その後の
- 「無敵ロボ トライダーG7」
- 「最強ロボ ダイオージャ」
- 「戦闘メカ ザブングル」
……等、8年間放送期間が1年間のアニメが続いています。
これらを見ると、ガンダムも元々は3月までの放送を予定されていた作品だったと考えられます。
ならなぜ2か月も早く最終回を迎えなければならなかったのか?
それは
- 視聴率の低さ
- 玩具の売り上げの悪さ
が原因となっていたのです。
今でこそガンダムは新作が発表される度に注目の的となりますが、初回放送時はあまり話題にならず、平均視聴率は5.3%という低いものでした。
また、制作側が狙った層が中高生なのに対し、作られた玩具は小学生以下をターゲットとしたもので、こちらの売れ行きも芳しくありませんでした。
これらの事から、スポンサーからの幾度かの内容変更の指示があった後、打ち切りが決定されたのです。
つまり、あの感動的な最終回の内容は、実は「機動戦士ガンダム」のストーリーの途中で仕方なく変更されたものという事になります。
打ち切りじゃなかったら話はどうなっていた?
ならば、本来は一体どんな最終回を迎える予定だったのでしょうか?
そのヒントはガンダム記録全集の5巻に載っているトミノメモにあります。
こちらはガンダムが放送される前の、本来あった52話までの大まかな構想が各話ごとに書かれています。
このトミノメモによると、
- 最後はギレンが発動したソーラ・レイにより連邦軍の戦力の大半が削がれ
- たった数隻の戦艦で、ソーラ・レイの攻撃により亡くなったレビル将軍の最期の軍令を全うするためにジオンの中心に向かう
- ギレンはこの結果にニュータイプというものを見くびり過ぎたと後悔する
というものでした。
最終回のタイトルが「ジオン殲滅」である事から、ホワイトベースを含むこの連邦の数隻でジオンに勝利したようですが、シャアは瀕死、アムロも亡くなってしまう最後のようです。
また、和平を望むデギンがホワイトベースにやって来てブライトたちと会うシーンがあったり、キシリアの最期もシャアの正体がキャスバルだと知ったキシリアが自ら自分を刺してみろと言って本当にシャアに刺されてしまう等という意外なエピソードもありました。
打ち切りじゃなかったら名作にはならなかった!?
そんな予定のはずだったのに、途中での変更を強いられ打ち切りの憂き目にあったガンダム。
けれど、40年経った今もなお根強い人気を保っているのは、皮肉な事に打ち切りという判断がされたからではないかと思います。
まず、ガンダムという作品が人気が出た要因のひとつとして、シャア・アズナブルというカリスマキャラがいた事があげられます。
敵のとんでもなく強い、しかも暗い過去と事情を背負ったクールな美形のキャラ。
このキャラクターの存在に惹かれた人は男女共にとても多かったです。
これはシャアが最後まで、カッコよかったまま終わったからというのもあります。
ニュータイプたちの世界の構築に心を割きながらも、本来ならば最後まで線上にいるべき将のキシリアが、部下を見捨てて自分だけ逃げだそうとしてるのを知り、やはりザビ家は許せないとキシリアを討つ。
この卑怯者を討って終わるというのは、見ている側の心を爽快にさせました。
けれど、最初の予定では
- テキサスでギャンに乗り、アムロに負けて敗走する。
- 更にキケロガに乗りアムロに負けて敗走しララァに助けられる。
- そしてガルバルディに乗りアムロに負けて負傷し、ララァに庇われる。(ララァ死亡)
- 最後は自分が進言したソーラ・レイの攻撃により瀕死の状態でジオンの首都に辿り着く。
と、最初の頃こそ強者であったものの、後半は負け続け赤い彗星の名が泣くような展開ばかりです。
これでは恐らく、当時程の人気は得られなかった事でしょう。
そして次に、展開の無茶苦茶さです。
これまでのロボットアニメと違い、単純な勧善懲悪ではなく「戦争」や「人」というものをリアルに描いているという一面が、中学生以上の視聴者の心を掴みこれまでにない人気を得ました。
けれどこの最後ではリアリティが激しく低下してしまいます。
味方の戦力が戦艦数隻になったと状況がガラッと変わったというのに、戦力があった時に出された命令を守って敵の本拠地に向かう、までは戦時中に時折見られる判断かもしれませんが・・・
それで勝ってしまうというのがかなり無理のある展開です。
これではトンデモ系仮想戦記になってしまいかねず、高い年齢の視聴者の支持は今のように得られなかったのではと思われます。
更に、主人公アムロの死です。
アムロによりホワイトベースの皆が助かり、そしてその後、一度絶望の雰囲気が起こった後でアムロも助かる。
この事により、
- 皆が助かってよかった!
- アムロも助かってよかった!
という一層強い感動が湧き起こり、その感情のまま終わるからこそ何度もこの感動を味わいたいと思う人が多く、それが一般家庭にビデオのなかった時代、幾度もの再放送・劇場版へと繋がり更に視聴者を増やし人気が広がっていった部分があるでしょう。
けれど最後、アムロが亡くなるという悲劇で終わった場合、ここまで繰り返しの再放送が行われたとは思えません。
結果、今でも続くブランドには、ならなかったのではないかと考えられるのです。
まとめ
ガンダム40周年を記念して、4月8日に冨野監督への独占インタビューがYouTubeで公開されました。
ここで冨野監督がスポンサーの要請だけに応えるものではなくて、世間に、子供たちに見てもらえるものを作りたかった意識を持って作ったからこそ、こういう風に作れたという内容を語る場面があります。
確かに玩具の売り上げを考えるスポンサーの意向を最優先したら、こんな作品は現れなかったでしょう。
けれど、スポンサーによる打ち切りの判断による内容の変更があったからこそ、ここまでのブランドを確立できたという一面もあるのが複雑ですね・・・